「人生の目的は自分の欲望や、利己的な願望を充足させることではない。そうではなく、その実体が、魂が、自己の意識を見い出す地球をより良い所にすることである」(4047-2)
「各々の魂が地上に現れる目的は、他人との関係において、創造の諸力、すなわち神がより大きく顕現できるような経路となることである」(1206-3)
「あなたがどのような状況にあろうと、それは今のあなたにとって最も望ましい状況であることを忘れてはならない」(369-16)
「今、理解できないことがあるからといって、それで心を疲れさせてはいけない。いつか、あなたにも理解できる日が来るのだから。そのことを信じよ」(5369-2)
「主は汝の欠点や、汝の美点も含めて、汝を必要としておられる」(5064-1)
「最大最高の愛を実践せよ。所有してはいけない。愛とは存在そのものである。真実の愛には所有などありえないのだ」(1821-1)
「他を祝福する経路になるがよい。されば天界の美があなた自身のものになるだろう。美のための美。肉体的な感情としての愛ではなく、人間の内における主のみ(御)業を示すものを愛するがよい」(1189-1)
「あなたを愛する人を愛したからといって何の益があろうか。だが、涙と悲しみにくれている人に希望をもたらし、明るさをもたらし、喜びをもたらし、微笑みかけることがかの聖なる愛をあなたの魂の中に輝かすのである。微笑み、喜び、楽しくありなさい。」
「失望に居座られてはいけない。そのたびに立ち上がる人を、神は愛し支えてくださる」(3440-2)
「あなたは必ずや内に答えを見出すであろう。このように応用すれば答はくる。応用するとはこの世を捨てるを意味しない。あなた方は世にありて世のものならずと主はいわれている。この世は実在の陰に過ぎないことを知り、この世的なことを置き、霊的なことを取るのである。」
「ひたすら忍耐強く、辛抱し、優しく、柔和であれ。これが真理の御霊の賜物である。……これが人が物質界に生まれる目的である。あなた自身が理想としてきたものを選びなさい。」
「その実体がどこまで達成できるかは、今、目の前にある機会をどのように用いるかにかかっている」(2283-1)
「大いなることを達成する者は、何か大きな事を達成しようともくろむ者ではない。むしろ、日々に与えられる機会と特権を正しく用いたものがそうである!」(1152-9)
「機会は常にある!機会は決して取り上げられることはない」(333-6)
「……どのような状況にあろうとも、それを損失と見なしてはならぬ。むしろ我々が自分の意志を神の御意志と一つものにするなら、神は我々が耐え切れないようなもの、理解できないものによって我々が試みに遭うことを決して許し給わないということを思い出し、それらの状況を高みへ至るための踏み石となすがよい」(900-44)
「一日の労苦は一日で足れり」という聖約は恩寵であり、不屈の精神であり、理解であり、この聖約によって精神は怖れを寄せつけないかのバランスを保つことができる」(5678-1)
「されば目覚めよ。自分一人では決っして重荷を担うことはできないのだ。道であり、真理であり、光である主を完全に信頼することによってのみ、子どもらを決っして置き去りにされず、救い主が生きていることを子供らに悟らせようと常に求めておられる父なる神を完全に信頼することによってのみ、重荷を担うことができるのだ」(2061-1、479-1)
「つねに自分がそのように自分に対してして欲しいと思うような仕方で行動せよ。他の者がどう行動してもそれは問題はでない。自分がして欲しいと思うように行動せよ。そうすればずっと太古から約束されてきた安らぎが本当にあなた自身のものになる」(1950-1)
「明日を思い煩うことも、人が何をするのか思い煩うことも不要である。あなたは、自分自身で行ったことに対してのみ責任と誉れがあるのであって、他人のことを気にしたところで何の足しにもならない。」(3213-1)
「自分の語ったこと、思ったことに直面するのを決して恐れないような方法で、創造的活動を招く力に自分を捧げよ。というのも、魂の誰もが自分の計ったその物差しでまた計り返されるからである。」(444-1)(110p)
「いま彼があなたを扱っているのと同じ扱い方で、あなたはペルシアの前世で彼を扱ったのだ。他人にしたことは自分に返ってくる」
「ある者があなたより才能や学習の点でずっと劣っていたとしても、彼はあなたと同じ権利を持っているのだ。神は人の才能や外見のよさを評価したりはしない。神は人の意図、目的、願望を評価の物指しにするのであり、それを忘れないように。」
「言葉は自由だといっても、他人を悪くいう自由までは許されていない。その自由は、建設的な目的のためにつかうべき自由である」