ここでは、亡くなった者の思念がどのようにあらわれるか、実際のケースをもとにみてみよう。
以下の動画を検討する。動画の後半、アメリカ南部のプランテーション大邸宅にまつわる話をみる。
目次
・動画の内容
・ゴーストバスターズ
・観光地のプランテーション大邸宅
・恐怖で逃げだす人々と大きな物音
①以前の住人の魂が残っている
②今でも暮らしている
③領主夫人の家への深い愛情
④脅かしではない歓迎なのだ
⑤家を守っている
・考察
・物への執着の美化(無理な正当化)
・補足(動画の前半:役者の意味)
・考察
・人生劇場と観客
ナレーション「宜保さんの力に驚嘆したマンツ氏は、郊外へと車を走らせた。
同じ様な霊現象に悩んでいる、ある場所に宜保さんを案内するためである。
プランテーション。アメリカ南部特有の大農場の邸宅。
樫の木に囲まれ、19世紀の建築様式をそのままに残すこの屋敷が、宜保さんとゴーストバスターズの最後の訪問場所だ。
彼らを待つ霊は何者なのか。
オーク・アレイ・プランテーション。昔を偲ばせるその豪華な建物は、人気の観光地として、訪れる人が絶えない。
家具も全て昔のまま完璧に保存された室内。だが、中を案内するツアーガイドの女性たちは、一様に奇妙な経験をしている」
ツアーガイド ディー・バー・ジェロン
「この部屋でお客様に説明をしている時、このロウソク立てが、風もないのにこんな風に動き出したのよ。
怖くてお客様と逃げ出したわ」
ツアーガイド デラ・スティーフェル
「仕事中、二階で大きな音がしたので、急いで上がってきたんです。
誰もいないのに、この重いインクビンが倒れていて、蓋がこんな遠くの端に転がっていました。
こんな変なことがしょっちゅう起こるんです」
ナレーション「ポルターガイスト現象。騒ぎ立てる霊の正体は何か、その訴えを聞き、慰めるため、宜保さんはやってきたのだが」
宜保「何か私、この鏡をみると、何か非常に人の愛着を感じます。
ここに住んでいた人が、とってもこの鏡を愛して、とっても大好きで、ここからどうしても外せなかったっていう風に思うんですけどもね~。
特にね、ここでというよりも、女の人のね、やっぱりこう凄く心というか魂というのが、あの残っているだけで、この鏡の前にね。
別に特にその幽霊みたいなものは感じません。ここの部屋で。
マンツ氏「悪い霊ではなく、ここに住んでいた女性だということですか?」
宜保「はいそうです。ええ。すごいしっかりしている人です」
ナレーション「愛情溢れる幸せな霊。隣のダイニングルームで、宜保さんはその霊の姿に出会った」
宜保「ここでお年寄りが、ここでもってこう、グレーのケープをこうやってして(かがむ仕草)そしてロッキングチェアにいたな、
っていうふうにして」
ツアーガイド サンドラ・シュナイダー
「それは前のオーナーのスチュワート夫人だわ。ショールをかけて、お気に入りのロッキングチェアーにいつも座っていましたから」
宜保「そしてとっても平和に亡くなっていってます。
ほんとに自分は生き尽した、っていう感じですから、霊がね、嫌な感じで残っていないんですよ。
だから、ここにはそういう平和な姿 しか 私に見せてないんですよね」(つまりそれ以外の姿があると暗示している。それがポルターガイスト)
サンドラ「彼女は72年に93歳で亡くなりました。立派な方で、この家をとても大切にしていらしたと聞いています」
マンツ氏「この家が好きで、亡くなった今もここで暮らしているというわけですね」
宜保「そうなんです」
ナレーション「2階には、そのスチュワート夫人の写真が沢山飾られていた。
字幕 2代目領主夫人 ジョセフィン・スチュワート(1879年~1972年)
1925年から、47年間ここに住み続けた彼女。
その家への深い愛情があったからこそ、このプランテーションは、荒れ果てることなく今も完璧に保存されているのだ」
「あのね、これはですね、人を脅かそうというような力ではなくて、
その人が、まだ私はこうやって住んでいるんだ、だからどうぞ見てください(??)、ほらそんなに暗くしちゃだめだよ!とかね(笑顔)。
何か飲んでいって下さい、っていうふうにしてね。
それだから、やっぱりあのそういう、その例えば霊作用みたいなものがあった時も、驚かないで、
あ、このオーナーが、そうやってわたし達を歓迎してくれているんだ、っていうふうに考えた方が正解です(真顔)」
サンドラ「ここが怖い場所ではないと教えて下さって、とても感謝しています。スチュワート夫人の霊なら安心ですわ」
マンツ氏「ニューオリンズにいるのが悪い霊ばかりでなくて良かったですよ。
長い間心霊の研究をしてきましたが、今回は本当に勉強になりました」
ナレーション「亡くなってからも、深い愛情で(観光客から)その家を守りつづけるスチュワート夫人。
広大な庭の片隅に、彼女と夫の墓を見つけた。彼女はここから、ひっそり屋敷を見守り、そして訪れる客を今も歓迎しているに違いない」
上記の構造をまとめるとこうなる。
・ゴーストバスターズとして訪れた
・観光地のプランテーション大邸宅
・恐怖で逃げだす人々と大きな物音
①以前の住人の魂が残っている
②生き尽したといいつつ、今でも暮らしている
③領主夫人の家への深い愛情がある
④脅かしではない。歓迎してくれているのだ(と考えるのが正解と彼女は主張する)
⑤家を守っている
長いので簡単に概要を示す。全体としてあべこべ、相反した方向の描写があるが、どちらか一方を無視せず統一的に解釈するとこうなる。
・ゴーストバスターズとして訪れた
→歓迎といっているが、その自称歓迎に悩まされる人が多くいたから、あえて真逆にある国から招かれるに至っている(霊的重大原因)。
・観光地のプランテーション大邸宅
→かつての奴隷農場の屋敷。働かないでOK牧場の大家。大衆(奴隷ども)とは違うのだ。働けと言いながら自分は働かず口だけ動かす。
・恐怖で逃げだす人々と大きな物音
→有象無象の大衆が入ってきて大きな物音で動き回る。どこかに行こうにもあてもなく、だから今でも住んでいるといって客を追い払う。
①以前の住人の魂が残っている
→これが地縛霊(ゴースト・亡霊)。地に縛られているのは、それ相応の執着・未練があるからだ(体)。なお、本来の霊はスピリット。
②生き尽したといいつつ、今でも暮らしている
→矛盾(詭弁)。誰かに尽くしたならともかく。口先なのもお決まり。言うこととやることが全く違う(真逆)。大事と言ってこき使う。
③領主夫人の家への深い愛情
→モノへの愛着。しんでもしがみつく。霊障で与える他人への恐怖が人への愛情ではない例証。忘れられない思い出とはそういうものか。
④脅かしではなく歓迎とみるのが正解
→その見方は当を得ているか。霊のコメントの例示が、禁止(暗くするな)と命令(何か飲め)。実に奴隷の主人らしい愛情の示し方。
しかもどうみても人を怖がらせる現象を、歓迎して「くれている」というレトリックを、すんなり受けいれ疑問に思わない刷込み具合。
しかし実際歓迎してくれているのはサンドラのようなガイド達。屋敷を大事に守っているのは、ガイド達。亡霊(亡者)に何ができる。
顕示的動機で物をいたずらに動かし、金を左右に弄び、人を不安にかりたてる。農場でも生産的ではない。因みに、亡者は金とセット。
⑤家を守っている
→観光客から守っている。彼女はそのため彼女に招かれ、自分の立場を弁解している(ジャッジの前に)。似た者同士で引寄せあうあれ。
しかしこんなコメントを招き寄せたから、結局は招かれざる客か。その意味では、彼女達ではなくガイド達の霊が招いたとみるのが素直。
因みに、こういう物への異様な執着による障害を示す例で、良い意味(アドバイス等)だと完全に反転させて解釈することは、彼女のならわし。
女主人が一番大事にしていたのが鏡という話は、この左右反転性と関連づけて解釈すべき。何が正解なのかは、各自の理解の程度によるが。
この動画の前半は、劇場に残っている役者達の霊という題材。
字幕 ニューオーリンズ最古の劇場 ル・プチ・テアトル・ド・ヴュ・カレ ※サイコの劇場
ナレーション「客席に座る大勢の霊達、彼らはみな、ここの舞台を踏んだ無名の役者達だと、宜保さんは言う」
宜保「やっぱし、役者さん達がここで何か演じていても、幸せな人ばっかりじゃなくて、人間関係のどろどろしたものを沢山もっていたり、
それから自分の役柄に対しての、不満とか、もうね、凄い入り混じったね、その人の気持ち、
そのねパワーがね、これほど残っている劇場ってのはないですね」
ナレーション「役者達の怨念の構図。その中でも特に強く語りかけてくる霊がいる。宜保さんは舞台の袖に目をやった。
宜保「じーっと、天井から、人がね、登ってね、こちらを見ているんですよ。
で、自分が主役になりたかったのに、なれると思っていたのに、急にそれを降ろされて、悲しかったのよっていうね、メッセージがね、
今の縄のそばに座っているね、女の人からとどいていますね。今あそこにいるのは女の人ですよ」
マンツ氏「若い女性ですか?」
宜保「ええとても若く、大体、19歳か、20歳くらい。すごく綺麗なブロンドの髪をしててね、そしてね目がブルーで」
マンツ氏「それはきっと、キャロラインですね。20年代にここで死んだ女優で、よく姿を見せるんです。
ナレーション「名字すら定かでない、70年前の無名の女優、キャロライン。彼女は3階のバルコニーから転落死したと言われている」
ここでいう役者達とは、現世に人として現れた霊のことを象徴している。舞台がこの世、観客席があの世。だから観客席が満席と言っている。
役柄に不満とは、うけた生(命)の境遇に対しての不満を意味している。
役者達の怨念の構図というのは、上の考察で示した通り。良い役はとるかとられるか、一部が良い思いをして、他の人は冷や飯食らい。
そしてその構図の不条理さが彼女の面前に提示された時、正対せずに正当化したのは、自分が主役だ(った)から。そういう立ち位置。
20年代に転落したキャロラインは、25年から屋敷に住み始めたジョセフィンとかかる。
かかりは甘いが、前後のつながり具合からすれば、薄いなりに関連性はあるだろう。関連を示すため名前が出されているとも言える。
主役になれると思っていたのに、急に降ろされたというあたりが、それらしい。
主人になれ自由にできると思ったが、すぐ終わってしまった、というところか。
ここでは単に他人のノスタルジーとしてではなく(といっても怨念だが)、このような念がなぜ生じてしまうか、それを考えることが大事。
主役が偉そうにするだけなら、そんな舞台はすぐ終わる。裏方・下で支える人を大事にして同じように立てる人が、最高の舞台に立つ主役。
たまった不満を、主役になって派手に発散して下の不満をためる。その繰り返し。それを思い知るまで繰り返す。
下をふんずけ自分の保身しか考えない、そういうのは世のためにならないから降ろされる。納得しがたいことでもないだろう。
裏方が準備しなければ、主役は舞台には立てない、偉そうにしても一人では何もできないが、替えの使い捨てを探してこようとする。
人を使い捨てにしても、自分は使い捨てにされないとなぜか思う。それが霊的な無知で浅はかさ。責任は巡り巡って必ず果たされる。