宜保愛子~透視と霊視

 
 
 ここでは、彼女を通して、透視と霊視の意義をみてみよう。
 
 透視は、肉眼で認識しえない時空の物をみることで、霊視は、霊的存在を視覚的に認識すること。これがおおよその認識(反転している)。
 本来の高い意味では、透視とは、道理・物事の内実を見通し、霊視とは、背後の霊的関係を具体的事実に即する形で看取(解釈)すること。
 霊体が具体化したのが肉体・物体だから、これらの現象と全く無関係に切り離して視ること自体、即物的で、相応の霊的無理解をあらわす。
 
 そもそも霊は見えないのだから、姿形として見る必要などない。姿形に霊をみるようにといっても、そういう意味ではない。
 霊は0とかかり、愛(love)の象徴。それ自体はみえないが、見える状態として間接的にあらわされる。間それが愛だ。それをあらわす名。
 日頃の行為の結実がその人の見た目。あまりに当り前の常識。内が綺麗な人が汚い外見などありえないが、そういう人ほど無関係と言い張る。
 
 そこで彼女をみると、透視力(事実の指摘)はかなり良い(クリア)。しかし霊視では怖くないといいつつ怖い感じがでる。そういう霊的世界。
 
 

 
 1総論 2火箸とカルマ 3透視と霊視 4亡者の霊 5エジプト